管理人「ペンギンじいじ」改め「ペンじい」の独り言を始めます。思い出や愚痴や日々の出来事を書いて行きます。よろしく!

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なぜ「ペンギンじいじ」と名乗ったか、実はペンギングッズを集めるのが趣味でしたが、

だんだん体系が「腹がぼてっ」と出てきて「短足になりつつあり」(見た目ですよ)、その上「歩き方がよちよち歩き」になって来はじめました。

そんなこんなで大好きなペンギンと掛け合わせて「ペンギンじいじ」・・短く「ペンじい」と呼ぶことにしよう・・と決めた。

「ペンじい」の今まで

「ペンじい」は四国は南部の高知県出身です。大して勉強もせずに大学は中退し、それでも地元の有名企業の関連部署に滑り込み。(要領が良いのよね)

残念ながら高度成長期も終わり事業縮小のあおりで地元大手流通業に途中入社(最後の採用・・やっぱ要領が良いね。いやツイてる)

そこから波乱万丈色んな部署を周りましたが今思えば新規部署での事業開発が多かった。管理部門も経験させて頂き仕入れ担当もしました。

思い出に残るのは、その時代に問題になった「環境汚染」が切っ掛けで出来たばかりの「産直部門」(全国でもローカルでは珍しかった)を担当し、日本全国を周りました。

海外迄新規ルートの開発を経験させて頂きました。(失敗しましたがレールを引くことは出来ました)

国内では当時ではありえなかった「夏場の軟弱野菜(ホウレンソウなど)」を北海道から高知まで空輸して流通する事業を「東京の青果市場」と協働で実現した事です。

今では当たり前のことですが、当時ではありえない事でした。朝とったほうれん草を当別な氷を敷いたコンテナに立てて箱詰めし、空輸して到着後根切り処理して

冷水につけ冷蔵庫で蘇生して取り立ての状態にして販売する流通を作り上げました。(今では氷温管理でどこからでも流通できますが)

その後、当時スピードプリントが流行っており。独立して写真店を始めました。(馬鹿だなー)

当時はまだやってなかったシャッターフォト(現在は工事現場やコインロッカーにも)を四国で初めて販売しました。

高知の路面電車に写真を張って走らせたり、空港の到着ロビーの広告写真を作ったりしました。

Tシャツプリントも「Tシャツアート展」を始めた団体から依頼を受け徹夜でプリントしたこともありました。

だけど写真需要の衰退(フイルム写真の衰退)が予測できるようになり、知人の調味料メーカーに拾って頂き西日本を担当しました。

その後、ご縁があり九州の総菜企業のコンサルタントを始め食品関連と健康素材製造メーカーのコンサルタントなどを経験させて頂きました。

68歳の時に福岡に再度ご縁を頂き、移住を決意しこちらで今まで経験したことを活かせることが無いかと、現在の事業を始める事になりました。

 

やろうとしている事業

「地方活性と高齢者支援ネットワーク」一般社団法人テラスを始めた理由は

長きにわたって全国の産地を回らして頂いて見た地方と、最近リタイア後、全国を旅して感じる「地方の衰退」のギャップの大きさでした。

「地方」を元気に戻すには?何とかできないだろうか?と言う思いからでした。

自分と同じ高齢者がこれからまだまだ活躍する事で、これからの時代を少しでも生活しやすくする事が出来ます。

また、「地方」が元気になると日本が住みやすく生活しやすくなります。適度な距離の交流は重要です。

たまに訪れると違いや良さがわかります。離れて各地を見て回るのも良いですよ。(良いアイデアも浮かぶのでは?)

 

今日の締め

取り合えず「ペンじい」の思いついた事を書いて行きます。

時間を作って読んでください。気晴らしになるかもしれません!

其れでは今日も元気で、明日からもよろしくお願いします。

 

 

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